佐竹 義宣(さたけ よしのぶ)
佐竹義重の長男。母は伊達晴宗の娘
初陣である壬生氏との戦いで功を立て、翌年家督を譲られた。
正室は那須資胤の娘(死別 天正19年4月18日なぞの自殺を遂げた)
以前、改易の危機の折、取次役の石田三成の執りなしで難を逃れたことのあった義宣は
福島正則や加藤清正ら武断派による石田三成襲撃事件という
三成の窮地の際、自ら駆けつけ伏見まで護衛、送り届けた。
義理硬く「天下一の律義者」と徳川家康も義宣のことをそう評している。
デザイン云々について。
「常に全身黒づくめで家臣さえも義宣の顔を知る者は少なかった」というエピソ−ドから
前髪が長めで顔がわからないように描きました。オプションでお面とかもいいなーとか思ってます。
いろいろ逸話を見ていると非常に義理堅く戦国の遺風をよく残した人なので、そういったところから
上杉と仲が良かったのかな、と思いますね。
「兄」と呼ぶほど景勝とは親しかったということなので、
案外自分が気に入った人には人懐っこい人じゃないかと、勝手に想像してます。
伊達政宗とは母が兄弟で実質、従兄弟なわけですが、
どうにも政宗と引き合いに出されると年甲斐にも無くカーッ!!となるところとか
可愛いなぁ・・・と思います。
善意を持って接する人には善意で返し、
それなりの対応をする人にはそれなりの対応で返す
みたいな感じでハッキリ人付き合いを分けちゃうような人なんじゃないかな
と勝手に妄想。
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渋江政光(しぶえ まさみつ)
小山氏、のち佐竹氏家臣。秋田藩の家老を務めて藩政改革を行った。通称は内膳。
政光の才能を見込んだ佐竹家家臣人見藤道の推挙で佐竹義宣に仕え、
20歳の時に佐竹家の重臣であった渋江氏を相続することになった。
関ヶ原の戦い後、秋田に減転封された佐竹家では義宣が家中の改革を断行し政光は家老に抜擢された。
だが、他家の旧臣である政光らの抜擢に譜代の家臣からの不満が高まり、
ついには譜代の家老が義宣と政光の暗殺を企てて処刑されるという事件(「川井事件」)まで起こっている。
デザイン云々について。
そろそろ眼鏡キャラが欲しくて・・・
岩明均の漫画『雪の峠』で惚れました。
義宜の相棒は、やはりこの人かなーと思って。
典型的な文系の人、今後どんどん描いていきたい。